札幌 時計台


北海道ってどうですか?

「北の街 さっぽろ」の時計台をご紹介します。
 TOP>札幌 時計台

★札幌 時計台

札幌の時計台ってどうですか?

■ Tokeidai ★ Sappro

それでは、
札幌の市内観光では欠かすことのできない時計台の案内をしますね。
正式な名称は「札幌市時計台」といいます。
ツアーでも個人旅行でも、ここは必ず訪れるべき名所なのです。

また、
札幌で初の洋式の建築法である木造壁式工法(今でいうツー×フォー工法っていうヤツですね)で建てられたということで、
北海道の建築史上に於いても重要なポジションを確立している建物です。

そして、
初めてここを訪れた人が、必ず想像していた札幌の時計台とのちょとした違いに”えっ?”という言葉を発する場所なのであります。

何が”えっ?”なのかというと。。

おそらく皆さんの多くは、この札幌の時計台というのを想像する際には、
広々とした郊外地に高々とそびえ美しい鐘の音を奏でるなんていう姿を思い浮かべていることと思います。
しかし、この有名な時計台、実は周りをビルに囲まれた市街地の中に建っていて、
周辺のビルのせいでとても小さな建物に見えてしまっています。
敷地もそんなに広くありません。
事前の情報無しに訪れた方はその想像とのギャップに思わず”えっ?”という言葉を発してしまうのです。
ここを訪れる人々の期待に応える為に、
移設をしたら良いのにという意見をお持ちの方もいらっしゃることでしょう。
おそらく、現代の技術を持ってすれば、この時計台を解体して、
どこか郊外で再現するっていうのはそう難しいことではないと思うのです。

しかし、

この時計台が多くの人のイメージにぴったり合う場所に移設をされずにこの場所に建っていることは、それはそれで意味の有る事であると管理人は考えているのです。

国指定重要文化財である札幌市時計台は現在の北海道大学の前身である札幌農学校演武場として明治11年(1878年) 10月16日 に完成しました。
この時計台は、札幌農学校の演武場(屋内体育館)や中央講堂として使用され、農学校の卒業式の会場として多くの卒業生がここから旅立っていったのです。
そして、この時計台は1892年の札幌大火の時には延焼を防ぐ為、生徒が屋根に登り火の粉を払ったという程、当時の学生や卒業生達に深い愛着を感じさせる存在となっていったのです。
その後、札幌農学は現在の北大の位置に移転することとなり、
札幌の都市整備にために当時建てられた多くのメモリアルな意義のある建造物の解体や移転が次々と行なわれていきました。
札幌農学校にゆかりの建物も当然、解体・移転が行なわれていくこととなるのですが、
この時計台だけは約130mほど曳屋による移動が成されたただけで当時の札幌農学校の敷地内に留まることができたのです。
北海道大学の始まりの地であり、開拓の歴史に深い関りを持つ場所であるということの証として、 現在の場所にこの時計台が存在するのはとても重要な事のような気がします。
そして、ビルの谷間に埋もれるようになっても1世紀以上もの間、札幌市民に安らぎを与える鐘の音を鳴らし続けてくれている時計台だからこそ、
札幌の街を象徴する建造物としての役割を担うことができ、市民に愛される存在で居続けられるのではないかと思えるのです。

さあ、それではもう一度、この札幌の時計台を見てみて下さいね。

そして、ゆっくり目を閉じてみて下さい。。

だんだん見えてきませんか?

穏やかな風が吹く中、緑あふれる場所にそびえる時計台が。。

車の走る音や街頭のざわめきが消え、ゆっくりと流れる鐘の音が聞こえてきませんか?

その光景には希望を持ち未来に向かって歩いて行く人々の姿がよく似合いますよね。


現在、札幌市時計台は札幌・北海道の歴史、時計台の歴史や札幌農学校の資料館として利用されており、
2Fホールは夜間時に音楽会、講演会、結婚式などの会場として貸し出しも行なわれています。
もちろん、札幌市民に愛され続けてきた鐘の音は今も健在です。


★楽しむポイント
時計台の敷地に撮影台があるので、時計台をバックに記念撮影をして下さい。
無理に時計台の全景を入れようとしないで、撮影される人の顔にググッと近づくと、背景にちょうど時計台の時計(塔部分の時計盤と屋根)が写ってイー感じです! (ホントです!)



■MENU■










Copyright (C) 北海道ってどうですか? All Rights Reserved